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子育てパパランキング

2020年06月03日

久しぶりに熱く!!



みなさん、こんばんは。

お久しぶりです。

今回は、新型コロナウイルスの影響で発生した教育問題について、久しぶりに熱くいきます!



9月入学に対する賛否はとりあえず置いといて。

政府が、来年度の9月入学導入見送りを決めたプロセスが、とにかく気に入らない。

簡単に言えば、

「できない理由やデメリットが大きいという意見が多いからやめます。」

ってこと。

これにも突っ込みたいところは山ほどあるんだけど、まあ、とりあえず、とりあえず、それも置いといて。

問題は、

「ふーん、それで?
それで、どうするの??」

ってことなんですよ!!

そもそも、この9月入学の議論が起こったのは、

「コロナウイルスの影響で発生した子どもたちの学びの空白や遅れを、どう取り戻すか」

だったはずですよね。

それならば、9月入学の導入見送りには、その問題のより良い解決方法が見つかったから、という明確な根拠がなければいけないんです。

「問題解決の方法はまだ無いんだけど、とりあえず9月入学は無しで」

って、なんじゃそりゃ!?

文部科学省はいったいいつまで、のらりくらりとやってるんですか!?

そんなに難しい問題ですか!?

分からないなら、教えましょうか??

9月入学の導入を見送るなら、同時に文部科学省が以下の内容を発表しなければならないんですよ。

「入園・入学の時期は、今まで通り4月を基本として進めます。ただし、学習指導要領につきましては、全学年の年度後半の内容を全て後ろの学年にずらします。すべての入試においても、その学習範囲内からの出題とします。大学入試で理系を選択する生徒については、高校3年生の選択授業の幅を広げ、柔軟に対応し時数を確保できるようにします。この対応をとることで、夏休みの短縮も行事の削減も行わずに、子どもたちの成長をしっかりサポートできるようにします。また、第二波、第三波に備えて、今年中にオンライン授業の環境整備を急ピッチで進めます。なお、来年度入学の小学一年生からは、通常の学習指導要領に戻します。」

こう言えばいいじゃないですか!

たったこれだけの言葉で、子どもたちや学校の先生方がどれだけ救われることか。

断言しますが、学習指導要領の内容を半年間後ろ倒しにしたからといって、人生に大した影響なんかありませんよ!

そもそも、学習指導要領をこなすことが目的化してしまっていること自体が、教育の本質からずれているんです。

政府も文科省も、いいかげん、世論やメディアに流されて場当たり的な決定や発表を行うのはやめてください!

それが、子どもたちや保護者、学校の先生方を最も混乱させ疲弊させることだと、早く気づいてください!


はぁぁぁ・・・

久しぶりに熱く語っちゃいましたが、もう、国の中枢があまりにも情けなくて、黙っていられませんでした。

あ、でも、これはあくまで私の個人的な見解ですのであしからず。

基本的に、9月入学については中立の立場、オンライン授業については、非常時の学習や補習的な手段として以外は乱用すべきではない、という考えです。

教育現場を知らない人間が教育について決める、というどう考えてもおかしいこの仕組み、さすがにもう変えないと・・・

それと、何かにチャレンジしようとする時、人間は、「真っ先にできない理由をあげる人」と「どうしたらできるかを考える人」に分かれます。
世の中に変革をもたらすのは、当然、後者です。
私は、ビル・ゲイツ氏のこの言葉を、いつも胸にとめています。

「人類史上の進歩のほとんどは、不可能を受け入れなかった人々によって達成された」





posted by 塾長パパ at 23:19| 宮城 ☀| Comment(0) | 教育問題に一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月22日

シャープペン論争

みなさん、こんばんは。

先日、小学3年生の息子から、

「学校にシャープペン持って行っていい? 先生がいいって言ってたからさ。」

と言われました。

学校ではシャープペンはダメと言われているはずで、プリントにも「ご遠慮いただきたい文房具」のトップにシャープペンシルと書いてあります。

私は、おそらく先生はいいよとは言っていないはずで、息子が勝手に話を都合のいいように言っているだけだと思いました。

学校のルールを先生に聞いてもう一度しっかり確認するように伝え、また、何度も伝えているシャープペンを持って行ってはいけない理由をもう一度話して聞かせました。


ほとんどの小学校では、シャープペンは使わないというルールがあると思います。

高学年になれば使っても良いというところもあるかもしれませんね。

では、なぜ使ってはいけないのでしょうか。

こういった疑問は保護者からも良く出るだろうと思い、ネットで検索してみました。

すると、やはり多くの質問が出ており、それに対する回答も様々なものがありました。

中には、現役の学校の先生が回答しているものもありました。

ただ、すっきりと納得できるような回答が少ないように感じました。

「ルールを守るのは当たり前」というのは論外な気がします。

そもそも、「なぜそのルールが必要なのか」が分からないわけですから。

そこで、今回は、学習塾で子どもたちに授業をしている私が考える、

「シャープペンを使わない方が良い理由」

について書きたいと思います。

ちなみに私の塾では、シャープペンを禁止してはいません。

ですから、授業中にシャープペンを使っている生徒もいます。

そんな生徒のリアルな姿を見ている私が考える、「シャープペンを使わない方が良い理由」は以下の3つです。


@授業に集中できず自分が損をするし、周りにも迷惑をかける。

Aきれいな字の書き方が定着しない。

Bトラブルのもとになる。


まず、@についてです。

特に小学1年生〜4年生くらいまでの子どもにとって、シャープペンというものは、便利な文房具であると同時におもしろい文房具でもあります。

授業中にいじりだすと、もはやとまりません(笑)

芯が折れればカチカチしなければなりませんし、芯がなくなれば替え芯を出して補充しなければなりません。

このひとつひとつの作業も子どもにとっては楽しく、夢中になってしまうのです。

シャープペンに夢中になっている間は、先生の話など全く耳に入っていませんので、結局学習効率が著しく悪化し自分が損をすることになってしまいます。

また、子どもたちはこういった作業に慣れていないので、替え芯を全部ぶちまけてしまったりもします。

芯が詰まった時などはその原因も分からず、とりあえず分解し始めます。

そうなってしまうと、先生も授業をストップして手助けしなくてはならなくなり、周りの生徒にも迷惑がかかります。

このように、シャープペンは子どもたちにとって、単なる文房具として使うにはハードルが高いのです。


次に、Aについてです。

これは一番よく言われていることだと思いますが、鉛筆で書く字がまだ安定していない時期にシャープペンを使うと、筆圧を強くかけられないため、さらにうすく不安定な字になってしまいます。

また、鉛筆より太いシャープペンも多いため、子どもの手では持ちずらく、字の形が崩れてしまうことも多くあります。

そうなると、きれいな字の書き方が定着せず、常に読みにくい字を書くようになってしまいます。

いずれはシャープペンを使うことになると思いますが、シャープペンを使う前に、きれいな字を安定して書けるようにしておくことが大切でしょう。


最後に、Bについてです。

小学校1年生〜3年生くらいの子どもたちにとって、シャープペンはちょっとしたステータスです。

持っていることや使っていることに優越感を感じるのです。

「自分はみんなよりもちょっと大人だぜ。」

といった感じでしょうか。

そのため、どうしてもみんなに自分のシャープペンを知ってほしくて見せびらかしたり、逆に周りの子が興味を持って触りにきたりします。

そうすると、そこから「貸してくれない」、「隠した」、「壊した」などいろいろなトラブルが起きてしまいます。

それがもとでケンカになったりもします。


といったように、シャープペンを使うことにはたくさんの副作用があり、それらをまだコントロールできない発達段階においては、使わない方が良いだろうということになるわけです。

これが、私が塾の授業での子どもたちの姿を見て感じた「シャープペンを使わない方が良い理由」です。

では、なぜこんなに使わない方が良い理由があるのに、私の塾ではシャープペンを使ってよいことにしているのか。

それは、使わない方が良い理由を自らの体験から知ってほしいからです。

単純にシャープペンを使ってはダメだよと言っても子どもは納得しません。

自分が授業中に使っている中で、先生の話を聞いていないことに気づいたり、うまく使いこなせないという体験をすれば、納得できることも多いのです。

ただ、だからといって、「シャープペンを使ってはダメだよ。」ということは言いません。

いろいろなアドバイスはしますが、そこから先は自分で考えて判断してもらっています。

もちろん、学校の宿題では、漢字練習など正確かつきれいに書かなければいけないものもあるので、鉛筆で丁寧に書くようにと伝えてはいますが。

大人も同じですが、便利なものや楽しいものについては、それに自分が支配されないようにルールを決め、使い方をコントロールできるようにトレーニングしてから使うことが大切ですね。


それでは、今日はこのへんで。

みなさん、お休みなさい。



最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
よろしければ、ランキングの応援もよろしくお願いいたします。

子育てパパランキング

それから、新しく別のブログを開設しましたので、
ぜひこちらも読んでみてください。
『夢追う塾長の独り言』
https://ameblo.jp/manabiya-net/










posted by 塾長パパ at 21:46| 宮城 ☀| Comment(0) | 教育問題に一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月19日

教育者たるもの人格者たれ!

皆さん、こんばんは。

今日は、久しぶりに教育問題について少しだけ書きたいと思います。

皆さんもすでにご存じの通り、今体罰の問題が大きく取り上げられています。

今日も新しく体罰が発覚した学校のニュースが流れていましたね。

体罰を行っていたこれらの教師については、多くの情報がメディアで取り上げられ

ているのであえてここで詳しくは書きません。

はっきり言えることは、これらの教師たちに教育者たる資格はないということです。

体罰を行っていたことはもちろん論外なのですが、その理由が「勝つため」という

ところが大きな問題です。

これは、生徒のためではなく自分のためということです。

自分の実績を上げるために生徒を駒として扱う、そんな自己中心的な考えが根底

にあるから子供たちに暴力などふるえるんです。

本気で生徒の成長を考えていたらこんな指導は決してしません。

そして、こういった教師のもう一つの大きな問題は“勉強不足”です。

未だに体罰を使った指導に効果があると思っているとは、もはや開いた口がふさ

がりません。

医者が最新の医療を学ぶのは当たり前です。

同じように教師が最新の教育方法を学ぶことは当たり前のことなんです。

神経科学や心理学の研究は日々進歩しており、それに伴って教育に関する手法

もどんどん新しいものが出てきています。

常にアンテナをはってそういった知識を学び続けることは、子供たちの人生に関わ

る教育者の最低限の義務です。

特に、この体罰を使った教育方法が子供たちの成長にとってマイナスであることは

もはや常識と言っても過言ではありません。

生徒の成長なんて考えていないから勉強する気も起きないんでしょう・・・。

教育に関わる仕事をする者は、今一度教育基本法を読み直し姿勢を正すべきです。

教育基本法には以下のことが書かれています。


第一章 教育の目的及び理念

(教育の目的)

第一条
 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者

として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければ

ならない。

(教育の目標)


第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げ

る目標を達成するよう行われるものとする。


 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳
心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。


 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の
精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養う
こと。


 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神
に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。


 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。


 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、
他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。



以上が教育の目的・目標です。

これらをしっかりと胸に刻んで教育を行っている教師が、はたしてどれくらいいるで

しょうか?

学校教育のシステムは、子供たちの人格の完成を目指した内容になっているでしょ

うか?

人格の完成を目指すことが教育の目的ならば、教師はそのお手本となるような人格者

でなければならないはずです。

しかし、教育基本法に書かれているような人格を持ち合わせている人間というのはなか

なかいません。

だから、教育者たるものは学び続け、成長し続けなければならないんです。

子供たちが、こんな大人になりたいと思うような人格者を目指さなければならないんです。

まずはこのことを教育界全体で確認することが、教育界の諸問題を解決する上で必要不

可欠なのではないでしょうか。


私も教育に関わるものとして、もっともっとよい人格の形成を目指して日々学び成長して

いかなければと考えています。

では、今日はこの辺で。

お休みなさい。







posted by 塾長パパ at 01:25| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育問題に一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月29日

先生って、ものすごく尊い仕事なんだよ。

皆さん、こんばんは。

昨日、初めて我が家の庭で友人家族とバーベキューを行いました。

好天にも恵まれ、楽しい時間を過ごし充電完了の“りょうパパ”です。


さて、今日は、久しぶりに教育問題へ一言。

今日のニュースでこんな記事がありました。


「関東の学校で、高機能自閉症を抱える小学6年性の男子児童に対

し、国語以外の教科がすべて斜線の通知表を渡していたことが明ら

かに・・・。」


この男子児童は、クラスの授業に参加することができなくなってはい

ましたが、ほぼ毎日学校には通っていたとのこと。

比較的軽度の障害がある児童生徒に対して支援を行うための「通級

指導教室」は週に3時間しかなく、ほとんどの時間を保健室や図書館

で過ごしていたようです。

口頭でなら行えるテストも、学校側は行っていませんでした。

この学校の校長は取材拒否。

教育委員会は、

「成績をつけない場合は事前に保護者に説明する方針だが、対応が

不十分だったなら申し訳ない。」

だそうです・・・。

保護者に説明していればよかったということでしょうか。

問題の論点がずれ過ぎです。

確かに、学校側としてもどうしても成績を付けられない、という状況は

あるでしょう。

しかし、それは児童に対して最大限の努力を行った上での話です。

このケースに関しては、「通級指導教室」の時数も不十分である上、

毎日通学していた児童に対しテストも行わないなど、あまりにひどい

対応です。

記事にも書いてありましたが、はっきり言って“教育の放棄”です。

この男子児童のお母さんは、

「存在が否定されたようでショックだった。」

と話しています。

実は、私は、このお母さんと同じ言葉を実際に聞いたことがあります。

ひどいいじめを受け、学校側もしっかり対応しなかったがために学校

へ行けなくなってしまった中学生の生徒を担当した時でした。

学期末になり、担任からお母さんへこんな電話がきたそうです。


「通知表を全て1にするか、評価無しにするか、どうしますか。」


いじめに対応しないばかりか、大した支援もせずにこの発言です。

この学校には、1学年に15人近くも不登校の生徒がいる、というの

も納得でした。

校長がダメなのか、教師にやる気がなかったのか・・・。

この発言で、お母さんは学校へ行かせようという気が完全に途絶え

てしまったようでした。


今日のニュースの話にしても私の体験談にしても、ここで言いたい

のは、今の学校には“ことなかれ主義の先生”があまりに多いという

ことです。

何か問題があっても、その生徒が卒業すれば終わる、といった考え

がはびこっているように思えてなりません。

確かに、先生方の仕事は多岐にわたっており、様々な問題に対応

するだけの時間がないというのも事実でしょう。

そこに対しては、早急に制度改革を進める必要があります。

しかし、その前に、現場の先生方が本気で子供たちの人生のことを

考え、情熱と覚悟を持ってさえいれば、やれることはまだまだあるの

ではないでしょうか。

私は、


「教師という仕事は子供たちの人生に直接関わるものであり、これは

命を預かる医師と同等、もしくはそれ以上に尊いものである。」


と考えています。

こういう考えを持っていれば、手を抜けるはずはないんです。


最近も、開いた口がふさがらないような教師の不祥事が後を絶ちま

せん。

完全に自分の力不足で教員採用試験に3回も落ち続けた私が言う

のは筋違いかもしれませんが、正直、

「なんでこんな輩が先生をやっているんだ。なぜ採用されたんだ。」

というやり切れない思いを禁じ得ません。

もし情熱を失っている先生がいたら、教師を志した時の熱い思いを

もう一度思い出し、子供たちの未来のために全力投球してほしいと

思います。


最後に、これだけはしっかりと言っておきたいのですが、素晴らしい

情熱と覚悟を持って子供たちと向き合い、教師という大変な仕事に

体当たりでぶつかっている先生も全国にたくさんいます。

私が教育大を出ていることもあり、大学時代の友人の多くは全国各

地の学校で先生をやっています。

たまに会ったときに、生徒のことで真剣に悩んでいる姿や、生徒の

成長をいきいきと語っている姿をみると、きっとこの先生たちが日本

の教育を変えていってくれるはずだ、と希望が持てるんです。


私も、友人たちのような素晴らしい先生方に負けないよう、自分の道

で子供たちの人生に関わっていきたいと思います。


では、今日はこの辺で。

お休みなさい。

posted by 塾長パパ at 01:25| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育問題に一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月22日

ぜひ、実現を!

皆さん、こんばんは。

いよいよ明後日はクリスマス。クリスマス

お子さんがいらっしゃる方々は準備万端でしょうか?

我が家は、古いと言われるかも知れませんが、やっぱり枕元にプレゼントを

置いておくバージョンでいきたいと思います。プレゼント

プレゼントも購入し準備万端です。

息子は喜んでくれるかな。るんるん


さて、では本題。

今回は教育行政について一言・・・。

昨日、橋本大阪市長が政界の幹部と相次いで会談し、様々な政策について

意見交換を行っていました。

私が気になったのは、中川文部科学大臣との会談で批判も交えながら強く

訴えていた、教育基本条例の制定についてです。

教育基本条例とは、地方行政の首長が教育に関する政策に関与できるよう

にするためのものです。

「え、知事や市長って教育に口出せないの!?」と思われる方もいらっしゃる

と思いますが、実はそうなんです。

現行の制度では、首長は教育行政に一切口出しできないのです。

正直、私はこの制度はおかしいと思います。

また、この制度こそが、いつまでたっても山積している教育問題を改善でき

ない最大の原因だと思っています。

このままでは、いつまでたっても閉鎖的過ぎる教育界が開かれることはなく、

悪循環を断ち切ることもできません。


そもそも、地方でも国でもその基礎となっているのは教育です。

なぜなら政治も経済も福祉も、全て‘‘人’’の上に成り立っているからです。

その‘‘人’’の人間力が豊かであればあるほど、地方や国は豊かになるの

です。

その人間力を育むのが教育なのです。

これだけ、地方行政の根幹に関わることに対してその地方の首長が関与

出来ないというのは、どう考えても理不尽ではないでしょうか。


私は、橋本市長に対しては是是非非の立場ですが、この教育基本条例の

制定に関しては、是非実現してほしいと思います。

そして、子供たちの未来、そして日本の未来のために教育改革を断行して

ほしいと思います。


では、今日はこの辺で。

お休みなさい。


posted by 塾長パパ at 23:46| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育問題に一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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