みなさん、こんばんは。
前回の更新からずいぶんと時間が空いてしまいました。
日々バタバタとしてしまい、自分の時間管理能力の低さに反省です。
では、前回の続きを書きたいと思います。
これまで2回にわたり、コミュニケーション能力を高めるための「絶対に争いにならないコミュニケーション」と「どんな相手からも好かれるコミュニケーション」について書いてきました。
今回は、そのまとめと、最終章として「コミュニケーションの極意は無償の愛」について書きたいと思います。
まずはSTEP1
「絶対に争いにならないコミュニケーション」
争いは、自分の意見が正しいと思い込み、相手の意見が自分と違った場合に、それは間違いであると決めつけ「相手を否定する」ことで起こる。すべての人は、価値観や考え方などが違っているのが当たり前で、どれが正解ということもないし、どれが間違いということもない。常にそう考えていれば、相手がどんな価値観を持っていても、「そういう考え方もあるね。」と受けとめることができ、「相手を否定する」という争いのスイッチを入れないですむ。
次にSTEP2
「どんな相手からも好かれるコミュニケーション」
人は、自分と違う価値観や考え方を学び吸収することで、自分の器を大きくし、あらゆる価値観や考え方を受け入れられるようになる。そうすると、どんな人とも良好な人間関係を築けるようになり、人間関係のストレスがなくなる。人生のストレスの8〜9割は人間関係が原因といわれる現代で、それはすなわちストレスフリーの楽しく豊かな人生を送れることを意味する。つまり、自分と考え方の違う周りのすべての人は、自分の器を拡張し人生を豊かにしてくれるありがたい存在だといえる。そう考えられるようになると、相手に興味を持ち、相手の価値観を知りたい、学びたいという思いが強くなり、相手の話を熱心に聞こうという姿勢が生まれる。相手は、価値観や考え方を否定せず熱心に話を聞いてくれる自分に心地良さを感じるようになる。こうして、良好な人間関係を築くことができる。
以上の考え方ができるようになると、コミュニケーション能力は格段にアップし、人間関係のストレスが激減します。それと同時に、多様な考え方を学び吸収するようになるので、あらゆる能力が向上し、生きることが楽しくなります。
そして、いよいよコミュニケーションの最終段階です。
これは、コミュニケーションというよりは、生き方そのものと言った方がよいかもしれません。
STEP1やSTEP2の考え方が定着してくると、相手と争うことはなくなり、逆にいろいろな価値観を学ばせてもらっているという感謝の気持ちが生まれてきます。
この感謝の気持ちこそが最も重要なものです。
もっと言えば、周りのすべての人や、あらゆるものごとに感謝し始めるということです。
いつも朝ご飯を出してくれる妻に感謝する、元気に成長してくれている子どもたちに感謝する、家族を守ってくれている家に感謝する、毎朝すれちがう時にあいさつしてくれる人に感謝する、仕事を与えてくれている会社に感謝する、自分たちの生活を支えてくれているすべての人や社会に感謝する、そして今日も無事に生きていられたことに感謝する、ということです。
どれも当たり前のことではありません。
そういった感謝の気持ちを持つと、今度はそれに対して恩返しをしようという気持ちになります。
家族や友人、周りのすべての人たちを喜ばせたい、そのために何かしたいと思うようになります。
つまり、人や社会に貢献したいという思いが生まれるのです。
あとはそれを行動に移せばいいだけです。
相手が喜ぶようなことをしてあげたり、言ってあげたりするのです。
そこに相手からの見返りを求める気持ちはありません。
感謝の気持ちが土台となっているからです。
ただただ、相手が喜んでくれればいいのです。
これが、大げさな言い方ですが、コミュニケーションの極意「無償の愛」です。
相手を喜ばせるだけの自己犠牲の精神で、限りある人生を過ごすのは嫌だ、という方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、私はこの考え方が自己犠牲だとは思っていません。
なぜなら、相手が喜んでくれることで自分も幸せな気持ちになれるし、みんなが敬遠するような仕事や役回りを引き受けることは、間違いなく自分の成長につながり結果として人生の質が向上します。
人が最も幸せを感じるのは、誰かを幸せな気持ちにすることができた時だと思うのです。
見返りを求めないと言いましたが、家族や周りの人、社会に尽くすということは、実は求めなくとも自分にとって十分な見返りが返ってくることなのです。
私は、「人は、生きる目的(人生のミッション)を見つけた時に運命が変わる」と考えています。
もちろん、生きる目的は人それぞれ違っていて、見つけられる人もいれば、見つけられない人もたくさんいると思います。
では、人類に共通する「生きる目的」はないのだろうか、と考えていた時期がありました。
つまり「人は何のために生まれてくるのか」ということです。
私はその時、自分の人生のミッションは明確になっていましたが、すべての人にあてはまるものとなるとしっくりくる答えを見つけられないでいました。
そんな時、ある方の言葉に「これだ!」と衝撃を受けたのです。
何となく、頭の中で思い描いてはいたものの、言葉にできないでいたものを、その方はごく自然な言葉で言い表していたのです。
それは特別な言葉ではなかったのですが、私にはストンと腑に落ちる完璧な言葉でした。
「人はみんな、自分以外の誰かを幸せにするために生まれてきたんだよ。」
瀬戸内寂聴さんの言葉です。
みんながこの目的を達成するために生きようとすれば、あらゆる争いが世界からなくなっていくのではないでしょうか。
自分以外の誰かを幸せにすることで、自分も幸せに生きることができる、まさにすべての人が幸せになれるのではないでしょうか。
言葉にすると当たり前に思えることなのに、こういう生き方をしている人はすごく少ないんだろうなぁ、と思います。
私は、まずは自分がそんな生き方ができるように人格を磨き続け、この世界からいじめや争い、戦争をなくすために、教育の世界でできることを一歩一歩やっていきたいと思っています。
さて、私たち夫婦が、夫婦げんかをまったくしないというところからずいぶんと話が広がりすぎ、まとまりのない長文になってしまいましたが、読んでくださった方、ありがとうございました。
そして最後に、
「3回に渡って書いてきたコミュニケーションに対する考え方も、あくまで私個人の意見であり、これが正解ということも、これが間違いということもない。」
ということをつけ加えさせていただきます。
みなさんが、それぞれのコミュニケーションのとり方、それぞれの価値観、それぞれの考え方、それぞれの生き方で幸せを感じているならば、それが正解ということなんだと思います。
それでは、今日はこのへんで。
冷え込みが一段と厳しくなってまいりましたので、風邪などひかれませんように。
みなさん、お休みなさい。